バイトをやってきた

 バイトの前にロフトとか寄ったけど、みんなごく自然に連休真ん中のこの日を楽しんでいた。バイトやり始めて二時間くらいはバイトの事しか考えてなかった。最後の方ちょっと暇になったのでふと出る前に書いた文章を思い出してみたが、やっぱりあれはディスプレイの前で考えた文章なんだなあとかついつい思い直してしまった。バイト先の棚だって、ちょっと軍事の棚がにぎわってたくらいのもので特別変わった事はない。イラクアメリカについては一ヶ月前からずっと面出ししているし、攻撃が始まったからといって特別いじるほどのことでもない。本屋の事情としては、戦争が始まる前と始まってからの差というものはほとんどない。そして終わってからは何事もなかったかのように、面出しされた書籍のほとんどは返品され、残った書籍はフェアを離れ元の場所に引き上げられる。(その証拠にアフガン関係の書籍は棚の端に追いやられている) お客さんだって、海外時事に人が集まるわけでもなく、この春社会人になるんだろうスーツ姿の彼は「新入社員の心得」みたいな本を読みふけっていたし、会社では会計担当なのだろう彼女は机に減価償却についての分厚い本を数冊置いて吟味していたし、ちょっとうだつの上がりにくいお兄ちゃんはとある自己啓発本を執拗に探し続け、他店で見つかった話をするとちょっと笑顔を見せた。本屋は本を売る場なので、たぶんこれで正しく、これ以上の何かがあるわけはないんだろうと思った。久々に僕の日常生活というものを体感して、本当に戦争って非リアルなんだなと思った。開戦を知ったのは合宿中で、それも場所が小豆島という、僕にとっては第二の故郷、僕の美しい思い出の象徴のような場所で、非リアルな中での戦争というものは逆にもの凄くリアルに感じられた。開戦時大阪にいたら、この感覚は変わっていたんだろうか。少なくとも、下のような文章を書いてたどうかわからない。でもそれだけに、あの感覚は貴重だなあとも思う。



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