防衛

 もう数時間後には決まってしまうんだなあ。そろそろ僕らは、所詮権力の前には民衆の声なんてまったく無意味なのだということを悟りつつある。一度や二度のことじゃない。もう何度目だ。たぶん前の戦争はある種のきっかけだったのかもしれない。いっぺんくらい、底辺の人間が政治を動かしたっていいんじゃないかって。そう無意識でも考えた人は多いんじゃないだろうか。そして僕らは、戦争なんて事態なら、可能だと思っていた。でもそれも無意味だった。今ではもうみんな、声を上げることすら疲れてしまったのかもしれない。民の力で変えた例なんてのが、何かの間違いだったのかとさえ思う。
 そんな雰囲気を感じている。少し前までは、日本の心を取り戻そう。歴史だ。教育だ。そんな方向から日本論を語る本が棚を席巻していた。それは戦後教育の反動、懐かしい言葉を使うなら「自虐史観」、それに対するものだと言われていた。今ではそれもあんまり流行ってない。逆に、右傾化を危惧する書籍も増えてきた。でもその棚の動きというのは、社会の動き、世論の動きを表してる、のではたぶん無い。この混沌とし、かつ、とても薄っぺらい棚模様をみていると、どちらも最初から無駄だとわかって主義主張を繰り返しているようにみえる。どちらについて議論すれば面白いのか、それだけで。別に戦後世の中は右派が思ってるほど左傾化してるわけでもなく、また現在左派が思ってるほど右傾化してるわけじゃない。一番上の人間だけが何かを決めて物事が進んでる(そこにGHQを入れたって別に良い)、結局戦前戦後何も変わってない。理不尽な思いをしてるのは僕らであるのに変わりはない。その理不尽を解消すべく自分で動くのか、今の上の人間に託すのか、対極のようで変わりはない。どっちにしたって、上の人間の手の平の上にいるだけ。知らなければ踊らされる、知ってても踊る以外にやりようがない、そんなもん。
 ただ、どうせ踊るなら一応知ってたい。何かの拍子に指の一本くらい、爪の白い部分くらいは持ってってやりたい。そんなちんけな野望を持ってれば、まだちょっと楽しめる。


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