続・アニメ

 アニメの話題で妙に反応が良いと思ったらみんな恋ディスファンつながりだったという罠。みんな最高だ。
 
http://d.hatena.ne.jp/nigo/20030411#p1
 ニゴ?より。

 おー、つまりそういうことです。言いたい事全部言ってくれた感じ。特に
>アニメも芝居も多くの越えねばならない前提条件を抱えていて、その嘘臭さを乗り越えられる人じゃないと受け入れられない。
 ですね。そこらへんを乖離とかって言ってたんですね。たぶん。ただ、アニメであれ演劇であれ、嘘臭さも頂点に達すると自然を越えるっていうか、ああもうこの嘘臭さの中にいたってイイやっていうか、っていうかこの嘘臭さ自体現実世界で蔓延していることで、演技の中の自然と現実の中嘘臭さをどこまで感じて折り合いつけて行くか、ってそこらへんが大事なとこじゃないかと思えるようになるんじゃないかって。それが前回書いていた「見えてくるもう一つの顔」っていうか。(これって、音楽聴いててもたまに起こる感覚のような) そこらへんも言ってみたかったわけです。アニメであれ芝居であれ、よっぽど良質の作品でないとそこまで行かないでしょうけど。
 というわけでわかりやすく「アニメ」という感覚から離れられる、そういう別世界を感じられる作品ということで例に挙げたのが「話の話」だったわけですが、あっこまで行くと別格でしたかねえ。確かに、あれを気に入ってもアニメ嫌い克服にはならないかも。むしろチェコアニメとかに走ったりとか。
 「外套」にいたっては確か十年の中断を経て撮影開始、してから更に十年くらい経ってませんか。や、マジで、頑張ってください。岡本忠成の「注文の多い料理店」みたいにならないように。


http://d.hatena.ne.jp/dancing/20030411#p8
 日々は踊る!より。

>ピンポンの場合でも役者以外全部”造られた”CGの舞台や観客のシーンってのがかなりあるわけですが、それでもアニメとは明らかに一線を画すように受け取るんですよね。
 やあ、ピンポン未だ見てないのでお恥ずかしい限りなんですが(今度友人に借りる予定)。個人的な考えですが、映画って、そもそも演出の目的自体が演技によって「自然さ」を描こうとする方法だと思ってるんですよ。「現実をいかにして切り取る」のかがメディア発祥そのものにおける主眼。逆に芝居やアニメは、「切り取り」ではなく「拡大」ではないかなと。それが芝居のような誇張であり、アニメのようなディフォルメかなって。勿論漫画はこっち側なのも多いんですが、絵画や漫画系は描く人によって凄い違うよなー。アニメだって切り取り的演出重視の作品は沢山ありますが、それはもう「描いた絵」が「動く」時点で誇張表現の域をなかなか出れないんでないかと思います。
>地上からぽーん、と飛び出そうとするのと上空から限りなく地上スレスレまで下降してくるのの違いというか…
 金城さんの感覚と同じかはわかりませんが、この例えで僕が考えたのは「切り取りの土俵からあえて誇張をやろうとしている」のと、「拡大の土俵からあえて切り取り的演出をやろうとしている」のの違いかな、って思ったり。やろうとしてることは似ていても、やっぱ出発点からして違うというか。……なんかほんまにわからんようなってきた。
 ところで金城さんはかなり昔から色々反応くださいまして、嬉しい限りであります。今後とも宜しくです。


http://d.hatena.ne.jp/lantern_commu/20030411#p1
 五条スクラップブックより。
 TVドラマは普通に演出も演技も下手なのがあったりしますから、比較対象としては難しいかもしれませんが。(笑) まあ、例によってTVドラマも見るほうではないんですが。
  「話の話」、よかったら見てみてください。ひょっとするとアニメ範疇外に見られてしまうかもしれませんが。つかウチあったんちゃうかな。僕が見たのも、親父が部屋のテレビで流してたの見ただけなんで。あったら今度持ってきますね。
 ついでに反応なかったので自分ツッコミしますと、岡本忠成みんなのうた「メトロポリタン・ミュージアム」の人形アニメやってた人です。他にも切り絵アニメ、あと手書きの油彩画みたいなアニメ(あれなんて言うんだっけ)とか色々やってる、日本じゃかなり実力派アニメーターだったと思います。死ぬまでアニメ作り続けて「注文の多い料理店」制作中亡くなりました。弟子で人形アニメの巨匠川本喜八郎が制作を引き継いで、完成はしています。これもオススメ。(すすめてばっか)


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